2006年01月30日

なんか無視できないのは

先週、「旅する人びとの国」(山口泉)を読了。やー、なんか途中からちょっと笑ってしまった。醜悪で猥雑で不快で押しは強いし、どっか理想主義的だしそんで美しかったり異常で奇怪で人間的だったりした。後半にかけては、(登場人物が)あんまり必死にぶっ飛んだことをひたすらしつこく言い続けるので、まただよ、まだ続くよ、と時ににやにやしてしまった。小説として読みたいのに、ずっと著者の姿がその向こうに透けて見え続けているような印象が私にはまとわりついていた。

こんだけのことを言い続けて、で、結局何さ!って言いたい気もするが、結局なんてないのでしょう。なんにも別にたどり着いてないしそんなところはないし、いく必要がないといえばない。ってわかんないことの言い訳じゃねーか。わかんないよー。なんか印象にだけ残ればいいんだけどね。

今まで読んだ三作品にも、それ以外の作品の書評や解説を見ても、どうしても同じモチーフが繰り返し繰り返し使われているところが気にかかる。このしつこさは、まったくジャンルも方向性も違うが加藤諦三を彷彿とさせるような・・。どっちに失礼なのかは不明(笑)。そこに読者に伝えたい何かがあるっていうのか、それとも単に本人が克服できていないなんらかの恨み?しつこく自分が孤独であることを主張することになんの意図があるのか。

ただ、どっか本質的なところで言い続けたいことがここに繋がっているのだろうし、そこがまたちょっと読みたくなってしまう、私のなんかを引っ張る要素でもある。こういうのがやけにしっくりきてしまうのもまた。

「吹雪の星の子どもたち」から入ってこんなのを読むことになろうとは思わなかったが、でもなんかまた読みたいなあ。何かが気になる。20年ほど前の作品なのでこれ以降の作品でどういう変遷を見せるのかも多少期待。


埴谷雄高が推薦文を書いているが「現実の無駄の総体」とな。


なんかもう、こういうこと書いてると全部抹消したくなるんだけど。周辺を気にしすぎて死ぬ。


こんなのは読んでない人にはわからんしどうでもいいことだろうけど、ま、自分用のメモとして。そういったらこの辺全部ただのメモだけどな。
posted by みっこ at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月29日

バス

千と一夜の奇跡
子ども目線でバカになって遊ぶ人の
その子どもならば育てられるかもしれないなどと考えてみたらなんか鼻がつんとした。
私はあの人に生かしてもらっている感じ。そうなのだろうか。虚無がいつかのように否応なしの悲しさでもって襲ってくるのではなしにただそこにある。まるでずっと前から私がこの世で初めての息をしたその時からそこにいたみたいな顔をして。

<人生に意味などないのだからして>?

成り行き上の不可抗力にて昔勘違いして聞いていたいわゆるポジティブソングみたいなもんを聞く。言葉上のポジティブが気持ち悪い。自覚のない表面的な世界。しかし世の中はそういう考え方が出来る人が動かしているのだろうな。

なんかすごっく頑張っちゃって輝いちゃってる知り合いの活躍を知る。本心なんだろうか。あんな晴れやかな顔で写真に写っているが。虚栄心に付け入られてないだろうか。もう戻りたくても戻れないんだろうな。ま、そもそも戻るとかありえないと思っているだろう、思いもしないか。否定はしないがあの笑顔が支えている世界。ああいう風にできない人にはいられない世界。

世界から棄てられた児…か。
posted by みっこ at 01:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月26日

都市伝説と刷り込みの無意識

こないだ夢に出てきた知らない女のイメージがなんとなく頭に浮かんでいて、なんだろう、あれの印象はたぶんまんがチックなやつ、とんがった歯がギザギザ生えていて、輪郭がペンで描いた細い線で、髪や唇や肌の色も絵の具の原色でそのままべったり塗っただけのような質感。なんか知っている気がするなあと思っていたんだけど、あれはたぶん小さいころに恐れていた口裂け女のイメージじゃないかと思う。

よくウチでは夕方遅くまで外で遊んでいると口裂け女がでるよというのが、子どもに対する脅し文句だった。ま、暗くなるまで外で遊んでる子どもに早く帰ってこいと言いたいがためのことなのはわかるが、そんな恐ろしいこと子どもに言うなよなあ・・・。他に、人さらいに連れて行かれるよっていうバージョンもあったが、その方がよほど現実味があるし、本当に気をつけなくちゃいけない気にもなるってもんだ。口裂け女のバージョンはホントに余計だったと改めて思うなあ。で、私の中ではその口裂け女というのはたぶんいつも遊んでいた公園の敷地内の神社、逆か、神社の敷地内に公園があったっていうのか、ただ単に隣接していただけかもしれないが、そこの神社の脇の石蔵の辺りから現れる。暗くなるまでその公園とかで遊んでると、帰ろうとしてその蔵の前の道を通ったときに、口裂け女が出てきて追いかけられると、そういうことをイメージしていて、うっすら暗い道を一人か二人ぐらいの少人数で帰ることになったときなどは、そのイメージが背中に張り付いているような感じがして背中がぞくぞくするのだった。こないだの夢の中でその女につかまれたわき腹の辺りの感触は、あの時のぞくぞくする感じと酷似していた。神社にあるその石蔵は後で考えると、たぶん祭りのときの神輿とかを保管している倉庫で、でかい鉄製の扉にごっついかんぬきがかかっていて、ぶといでかい筆の文字でそれぞれに町会の名前が書かれていた、と思う。口裂け女への恐怖と神社のイメージがあいまってなおさら暗い怖い感じがしていたのだろうと思う。(たぶんこの神社のイメージというのは、その年代の子どもが一般的に抱いていたイメージとはだいぶ違っていただろうと思う。)

都市伝説でよく言われる口裂け女はマスクをしているらしいが、私はそんな見た目の細かいことなど聞かされていないので、口裂け女という言葉から自分の中でイメージしたのをずっと抱えていたわけだけど。それにしてもどう考えてもありえるはずのないことを、いかにもらしく子どもに話すのもどうかと思う、まじめな話。たとえば口裂け女の話の発端になったなんらかの事実があったのかもしれない、でもそれはそれ。ウチの近所にそれが現れるという根拠などないし、大人もそんなこと思っていなかっただろう。しかし子ども自身も本気で信じるわけではないまでもそのイメージというのは、この年になっても夢に現れるほど恐ろしかったわけだ。そういうことは単なる都市伝説から価値観や思想まで、振り返ってみれば笑って済まされることもある一方で深く刻み込まれて拭い去れないものまで、良いものも悪いものもどっちでもないものも。

口裂け女が本当にいるのかどうかは確かめようがないけれども、私はいないと思うことにする。つーか今までだっているとは思ってなかったけど。そんなことをわざわざ決めるのはあほらしくて笑えることではあるが、それは口裂け女がいるかいないかの問題ではなくて、私がどう思うかは私が決めるということの、ひとつの象徴であるという意味で。そういうことに象徴させないと気付かないことはまだまだいっぱいあるんだろう。それくら無意識の中に刷り込まれたいろんなイメージや考えは知らないうちに自分の行動や考えや言葉を支配しているもんで、笑ってもいられない。

いいイメージは残しときたいけどね。

****
口裂け女ってなんだったのかと気になって検索などしていたら、なんか口唇口蓋裂との関係がありそうな感じが。そうだとしたらなおさらそんなん良く知りもしないで脅し文句に使うなよ、という別の意味での怒りが・・・。ま、私の中の怖いイメージは耳まで裂けた口だから、口唇口蓋裂とは無関係かどっかで話しが変わって伝わったのかもしれないけど。
posted by みっこ at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月25日

どうにもダメらしい

だいちんが用事で実家に帰って、おめたちと私だけの一晩。私は何をするでもなく買ってきたご飯を食べ、かさぶたを突っつきながらテレビをめくりネットサーフィン。誰かがなんらかの刺激を与えないと動かない人形かのように。

一人だとなにもしない。本の続きを読んだり音楽を聴いたりは、どうせ明日会社へでかけなきゃならないその電車の中で出来ればいいだけで、ネットもメールもどうせ仕事の合間に時間が余っているのでその時にやればいいことで、なんだかな。職場では人から見るとそれなりに忙しくやることいっぱいのように見えるのだろうが、ぶっちゃけて言うと本当に仕事をしているのは実際会社にいる時間の半分くらいのもんである。慣れればそんぐらいの時間でちゃっちゃとできるようなもんである。それ以上を頑張ろうとも思わないし、もらってる給料ぐらいのことはしているはず。ってだからなんだというのか。

なんといっても職場に笑いや明るさがないのがいけない。個人のなんやかやは別として、普通に笑ったりできる雰囲気がない。笑えないというより笑いたくない。なんで職場の話になったのだ。

一人だと何もしない話。
風邪をひかないように手洗いうがいを励行し、みかんを毎日食べ、水分を摂ったりするのも、一緒にいる人がやろうぜーやったほうがいいぜーというので、んじゃやんべやんべとやっている。別にイヤイヤではない。でも、一人だったらやらない。風呂も別に明日でもいいか、化粧落としてないけど顔洗うのめんどくさー、で拭くだけコットンみたいなやつで拭き取って寝る。本来そういう怠惰が好きでラク。というか一生懸命健康を維持することになんら価値を見出せないというのが本音。でも、一応やりたいことできるためには体が動いたりした方がいいんではあるが。しかしやりたいことってなに?

あーなんでこんなニヒリズムの塊みたいになっているのだ私は。
posted by みっこ at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月24日

なんつーか、

誰かにバシッとほわんとなんか言ってほしい感じ
posted by みっこ at 19:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

寝言

気持ち悪い夢を見た。
どこかの長い爪をした女がきて、木のドアを必死に閉めても、そのわきの障子が全然がらがらで、私の左わき腹や腰の辺りをショベルカーのように、ショベルカー?なんていうの、土をすくうだけじゃなくてはさんでつかめるようになっているやつのように長い爪の両手でわっしわっしとつかんでくる。顔は見えなかったけど印象の中では長く黒いまっすぐな髪に真っ赤な唇で真っ白な無表情な顔をしていたであろう。わっしわっしされたあたりがぞわぞわして目が覚めても気持ちが悪かった。明るく光がさす田舎の方の昭和な殺風景な玄関に、砂利道と庭。

明け方そんな夢を見てたっていうのに、それより前の時間帯には歌うたってたらしい。
朝、だいちんに、おめーまた寝ぼけてなんか言ってたぞと言われた。なんか楽しそうにぶつぶつ言ってるから、なんだ?って聞いたら「歌うたってるんだよ!」ってキレ気味で答えていたらしい。どうしても歌には聞こえなかったけどな、と。どんな歌やねん。

私は結構寝言を言うことが多いらしい。そしてだいちんが目撃するのは決まって笑ってたり楽しそうになんか言っていたりする私らしいのだが、本人としてはまったく覚えがない。覚えているのはいやな夢ばっかりで、それはたぶんその途中ではっと目が覚めるから覚えている場合が多いという、単にそういうことなのだろうが、どうせなら楽しい夢を覚えていたいのになあ。
posted by みっこ at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

平穏

土曜日に雪がたんまり積もって
日曜日に雪かきしてないところは
雪が解けながら凍っている
水飴をぐるぐる練って白くなってきたところを
広げて固めたみたいなものが歩道を埋め尽くしている



なんだか居心地わりぃ
この平穏

茨の道じゃないとわかんなくなる
痛いけど痛いから
それで自分が生きているのがわかる
なんにもないと
本当に自分が生きているか
そこんとこがわかんなんくなる

それは向上心のように
肯定的な方向に向かえばいいのかもしれない
なにかを生み出す力のように
創造的に使えばいいんじゃないかと思う
しかし今までそのつもりだったことは
結局勘違いだった気もする
posted by みっこ at 15:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月19日

それは期待ではなく虚栄心

ゆうべ風呂に入りながら考えていたこと
お金のこと、秘密、虚栄心、ある事件のこと
今日朝起きたらその先を思い出せずに
しばらく心の中で唸っていたけど

その続き、布団にもぐりながら感覚を追い続けた
子どもの頃の風景がなんだかぼんやりしていてよく見えない
なにか具体的ではないがなんかの場面で感じたらしい
強烈な不安感に気付いた


あれをじっくり見てあげて
ちゃんと受容してやって
ただぎゅっとぎゅぎゅっとね

ただ我慢するだけじゃなく
黙って待つだけじゃなく

我慢して黙っていた私
でも、それに気付かなかった人を恨むのはやめ

私だってたぶんうまく出来ないだろう
誰かが失敗していても
別にそれは悪いことじゃないし笑うことでもない
私が失敗しても
悪いことじゃないし笑われることでもない

時間が物理的に過去に戻ることはないのだから
私は心の中で私なりの決着をつければいい
過去は私の中で変革できるものだ

心理的に利用されていた人、あの人もある面での犠牲者
あの人だってそうかもしれない
私は変わることができる


忘れないように
そのうちいつか忘れると思うけど
posted by みっこ at 18:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

気分

気分とはかすめ過ぎていくもの
イイ気分もイヤな気分も私には等価で
それはひととき私の中にとどまり過ぎ去る

その下にはいつも空洞



体がハリボテだとしたらその内側の背中側の面に
うすーくいっつも張り付いているのがたぶん私
posted by みっこ at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月18日

見えないとき

昨日の帰り道、最後の角を曲がって、自分ちの建物が見えた時にあの建物はおめたちの象徴に見えた。あの部屋におめたちが二人でいるということだけがあの建物から感じられる。寝てるか食べてるか窓の外見てるか遊んでるかしら。さっきまでもしかしたら忘れていたかもしれないことを思い出す。

家から一歩出ると外での一日には私にはどうにも猫が絶対的に足りていない。ウチに帰ればいるのだけどもちろん、でも、目の前にいないものは存在していないも同じというような。それで一日働いて帰ってくると、日常がなかったことになるくらいの遠い長い濃ゆうい旅をして帰ってきたみたいな脱力感と疲労感にまみれながら、あったかくやわらかく心地よく湿ったずっしりした空気にくるまれてさっきまでの外の出来事はなかったことみたいになる。
posted by みっこ at 13:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。